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お鶴明神   
 

 登米伊達氏初代、相模宗直は、転封早々北上川に相模土手という大堤防を築いたが、その後浅水地域の堤防が、しばしば決壊して水害を受けた。

 そこで二代伊達若狭宗貞は、慶長年間に3ヵ年の歳月を費やしてこれを改修し、決壊の災いを絶つことができた。そこでこの堤防を若狭土手といい、長く宗貞の偉業をたたえている。

 この若狭土手改修のとき、生き土手にすれば水に押し切られることがないだろうという話が出た。そこで、村の長者の下女で顔立ちの美しいお鶴という娘が、たまたま弁当を持ってきたのを人柱にと生き埋めにして、この堤防を築き上げたのであった。

 里人はこれを哀れんで、お鶴のために小祠を立て、その冥福を祈ったのであるという。

参考 『中田町史』

   
   『登米地方の伝説』『宮城の伝説』など、広域をあつかった伝説集にもたいてい顔を見せる、有名な伝説。参考にした町史にも、いくつかの細かい異説が掲載されている。なんのことはない(失礼^^;)、人柱伝説なのであるが、やはり歴史伝説として、史実と深く結びついているからなのだろう。
 お鶴明神の小祠は、現在も、広々とした河原の一角にぽつんと建っている。まわりには花が植えられ、お鶴の無念を供養しているようであった。
 側にはお鶴(夫ともいう)が流した涙がたまった池があったそうであるが、明治のころに埋められたという。現在はそれを復元した池がある。
 


お鶴明神。


あじさいなどが咲いている様子。


お鶴明神の祠。


涙池。

   
  mapion
中田町浅水。北上川に架かる錦桜橋の下流、国道沿いの広々とした河原の土手にお鶴明神がある。
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