登米伊達氏初代、相模宗直は、転封早々北上川に相模土手という大堤防を築いたが、その後浅水地域の堤防が、しばしば決壊して水害を受けた。
そこで二代伊達若狭宗貞は、慶長年間に3ヵ年の歳月を費やしてこれを改修し、決壊の災いを絶つことができた。そこでこの堤防を若狭土手といい、長く宗貞の偉業をたたえている。
この若狭土手改修のとき、生き土手にすれば水に押し切られることがないだろうという話が出た。そこで、村の長者の下女で顔立ちの美しいお鶴という娘が、たまたま弁当を持ってきたのを人柱にと生き埋めにして、この堤防を築き上げたのであった。
里人はこれを哀れんで、お鶴のために小祠を立て、その冥福を祈ったのであるという。
参考 『中田町史』