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東和町の田村伝説  
 

 桓武天皇の御世、奥州の大嶽丸という鬼神が伊勢の国まで攻め上ったとき、坂上田村麻呂が征夷大将軍に任ぜられ、鈴鹿御前の力を借り大嶽山にて大嶽丸の首を切り落とした。首が飛んでいったところが鬼首である。

 また、この物音に目をさました仲間の鬼神たちはあわてて逃げ出した。田村麻呂はその後を追ってゆき、鬼神の1人を切って埋めたところが浅水の長谷観音である。

 鬼神たちはさらに東へと逃げた。

■鬼橋

 今の北上川筋には、むかしは二股川と大関川の合流した川が流れていた。田村将軍がこの地へ来たとき、先に服従した者たちが人柱を作り、橋となって田村麻呂の渡河を助けたという。それでこの地を鬼橋という。

■悪徒(党)原

 昔田村将軍に反抗した賊どもが住んでいた所といわれ、現在悪戸と称されている。

■耳取り

 悪徒原から追い出された賊が耳を切り取られたところだという。

■一の矢当り、二の矢当り、三の矢当り

 3箇所とも米谷相川の地にあり、田村将軍に追われた賊どもが順に将軍の矢に射すくめられた所といわれている。

■鬼伏

 相川の奥で将軍に追い詰められた賊どもが降伏したところと伝わる。付近に水喰(みずはみ)というところもあり、賊が逃げる途中に水を呑んだ所といわれている。

■鱒淵の馬頭観音

 さらに追われた賊は鱒淵の山に登ったが、ついにここで退治された。
田村麻呂はこの他に石巻の牧山、嶽山、栗原の小迫、八戸の蝦夷を平らげたので東北は平和になったが、鬼神と云われた蝦夷でも人なのだから以上の7箇所に寺を建立してその霊を弔った。奥州七観音といわれるのがこれである。葦毛の名馬の働きがあったので馬頭観音を祀った。


参考 『登米地方の伝説』(S63、登米地方の伝説編集委員会)

   
 

 宮城県北部一帯にかけて広範囲に広がる奥州七観音(さらに小さくして三観音とも)の鬼神伝説に関連した伝説である。
この七観音、その名こそ七観音と称してひとくくりにされているものの、その伝説はそれぞれの土地土地で様々なバリエーションをもって語られており、「これぞ決定版」といったものは存在しないと言って良い。

 この東和町の伝説はそのうちの大嶽山・長谷山の後日譚といった形で展開してゆき、最終的に鱒淵山が七観音に名を連ねて終了している。
 鬼橋→悪徒原→・・・→鬼伏までの流れは、おおよそ1本のラインで結ぶことができ、その伝説のラインに沿って訪ねていくことができる。それぞれの地で話を聞いた方は、どの方も「まず鬼伏しというところがあって・・・」とルートを順番に教えてくれた。このルートを何回聞いたことかわからない(笑)。
 地名譚が主であるが、一の矢・ニの矢・三の矢の各神社と鱒淵観音堂は見ることができる。一の矢と三の矢は小さな石祠なので地元の方の案内がないと見つけるのは無理だが、二の矢神社はちょっとした社殿があるので見つけるのは簡単。行ってみるべし。

 さらに伝説中では富山・のの岳の観音は登場せず、八戸の観音が顔を出しているが、七観音の中身はいささか流動的であるということを付け足しておく。

 
 


ニの矢神社。小丘の上にある。

 


鱒淵観音本堂。


本来は馬の観音様だが・・・。


これは三の矢神社の小祠。
一の矢神社も同じような感じである。


本堂の裏には奥の院もある。


観音堂境内には将軍姿見の池なるものも。

   
 

mapion
登米郡東和町米谷。相川を通る道沿いに廃校を利用した集会所があり、その向かいにニの矢神社がある。ちなみに三の矢神社は東へさらに進んで右手の田畑の中、一の矢神社は東南へ伸びる道沿いの民家の裏山にある。

登米郡東和町米川。役場から東へ数キロほど入る。地図にも載っているので安心。ちなみに県道から観音堂へ入らずにまっすぐ東へ進むと、ゲンジボタル発生地で有名なポイントである。

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