昔、新山神社の辺りに長者が住んでいた。
子供達はそろってわがままな性格で、お膳に座っても、ぼろぼろこぼすばかり。それを一粒も拾って食べようともしない。長者も、子供達の行末を心配する余り、米作りの苦労を話して聞かせるのだが、一向に聞き入れる様子もない。
或る年、天候が悪く不作となり、村中には、餓死する者も沢山でてくるほどであった。
そんなある日のこと、一人のみすぼらしいみなりの娘が、長者の門辺に立って、かの鳴くような細い声で「お助けください」と、今にも倒れそうな細い体を、一本の杖で支えて物乞いをしていた。
長者は「ぼろぼろこぼす米はあっても、乞食などにやる米は、一粒とでないわい」とことわった。
「みなさんが食べるような、上等なものはいただきません。流し場に流れ落ちたもので結構です」と娘は土に伏し、泣かんばかりに頼む。
けちんぼうの長者は「そんなことならお安いご用だ」と、流し口に流した子供達のこぼした米粒を、朝晩食べきせてやることにした。
このみすぼらしい娘は、それからというもの、長者の家の下女となって働いたが、何時もみんなといっしょに食事をとったことはなく、流し口に小さなかごをつるしておいて、溜ったご飯粒を食べていた。
夜になって寝るときも、大きな米つきうすの中に入って寝るので、夜具の用意もない。
このことは、長者の家はもとよりのこと、村中でも評判になった。
うすの中に寝て、流し口の飯粒を食べるばかりでなく、下女としても陰日向なく働くので、長者は大変重宝にした。いつ寝て、いつ起きるのか、長者の家の者もだれも判らない。そして身分・素性などはだれにも明したことがなく、全く不思議な娘としてかわいがられていた。
それから何年となく、長者の家で下女奉公しているうちに、娘を見習った子供達は、一粒のご飯も粗末にするようなことはなくなった。家の中が明るくなるにつれ、やがて村中を襲った餓死騒ぎもおさまった。村ももとのような住みよい村にもどった。
その頃、だれいうとなく「あの娘は、ただの娘ではない」と、うわさするようになった。
ある闇夜のこと。長者の家から、一条の光りが北の方へとんでいくのを、村の人々はおどろきの目で見た。その時から、それっきり不思議な娘は、長者の家から姿を消してしまった。村人達は「神かくしに会ったのじや」とかいい合った。
長者は「やっぱり神様の化身だったか、やれ勿体ない」と、光り物が飛んだ方角に、手を合せて拝んだ。村人たち総出で、娘の行方をさがしたところ、となり村の高い山にある、一本の老杉に止って、光り物が消えたということは判ったが、やはり娘をさがし出すことは出来なかった。
その後、村人達は、光り物が止まった山に、りっばなお社を建て、行方のわからない娘を「神様」に祀った。米を大事にしたので、五穀豊穣の祈願をこめ、来る年も未る年も、初穂を献じて、盛んにお祭りをするようになつたのだという。
ところで、このみすぼらしい娘は、後になって、垣武天皇の第五皇女大宅内親王であることが判明した。ある出来事があって都落ちし、供の裏切りにあいながらも一人でこの地へたどりついたのだという。村の人々の尊信は、ますますつのったのであった。
参考 『矢本の昔ばなし』(矢本町老人クラブ連合会)