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猩々ヶ池  
 

■その1

 昔、八幡の町に酒屋があり、あるとき髪が赤く顔は朱色をした異人が来て酒を大量に飲んで帰った。その後も度々酒を飲みにやってきたのだが、村の若者はこれを殺そうとたくらんでいた。

 それを知ったある老人が異人を憐れみこれを伝えたが、異人はそれでも酒が欲しいと酒屋で酒を飲んで帰った。すると帰り道に待ち受けていた若者たちがそれに深手を負わせた。

 異人はようやくの思いで老人を訪ね、「私は間もなく死ぬ。屍は町の南東にある池に捨ててくれ。今日より6日後に大津波が押し寄せるが、そのときは末の松山に登って難を避けよ」と言い残して息絶えた。

 はたして6日後に津波が押し寄せ村はことごとく飲まれてしまった。老人の一家だけが末の松山に逃れことなきを得たという。

■その2

 昔、八幡の町は上千軒、下千軒と呼ばれ大いに繁栄していたが、そのころ、1軒の酒屋があり、こさじという下女がいた。

 この酒屋へ顔が赤く全身に毛の生えた猩々がきて、酒を飲ませよと仕種をしたので飲ませると、杯に血を残して立ち去った。猩々の血は高価なものであった(あるいは、残した血が銭になった)。

 強欲な酒屋の主人は、猩々を殺して血を採り大金を得ようとたくらんだ。それを知ったこさじは猩々に伝えたが、「それでも私は酒が欲しい。もし殺されたら3日も経たないうちに大津波が押し寄せるから、そのときは末の松山に逃れよ」という。

 後日、猩々が再び酒屋を訪れると、主人は大酒を勧め酔いつぶれた猩々を殺し、全身の血を抜き取って町の東にある池に投げ捨てた。

 その翌日、空は黒雲に覆われただならぬ様子となったので、こさじは猩々が言ったことに従い末の松山に登って難を避けた。はたして大津波が押し寄せ、八幡の町は家も人も全て流されてしまったのだという。

 猩々を捨てた池はのちに「猩々ヶ池」と呼ばれるようになった。

参考 『多賀城市史』

   
 

 非常に異質なものを感じる伝説である。猩々の存在しかり、ノアの箱舟を思わせる洪水しかり。少なくとも僕の記憶では他に類をみないのだが・・・。
ところで、伝説の中で老人や下女が避難する「末の松山」は、歌枕として有名である。

  君をおきてあだし心をわが待たば末の松山浪も越えなむ(東歌)

  契りなきかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは(清原元輔)

 これらの歌は、この周辺は昔海に近かったのだが、どんなに荒れても末の松山だけは波が越えることがないといういわれがあったのを前提としている。・・・そう、この猩々ヶ池の伝説には、この「決して波の越えない末の松山」という知識が根底にあるようなのである。その末の松山が、酒好きの猩々や大洪水とどうやって結びついていったのか、興味深いものだ。

 さて、もうひとつの伝説地「猩々ヶ池」であるが、こちらの方は探してみたものの、 「そういえばあの辺に昔池があって看板が立ってたけどなぁ。それだったかもしれないなぁ」という証言までしかたどり着けなかった。とりあえず「今は無い」と勝手に結論づけたのだが・・・情報あったら待ってます。

 余談だが、とあるおばあさんに猩々ヶ池について訪ねたとき、 「ショウジョウって、あのサルのショウジョウかい?ひゃ〜コワイ。」という反応があったのが面白かった。

 もうひとつ余談だが、この周辺は「沖の石」「つぼのいしぶみ」など歌枕の宝庫である。そっち方面でブラブラしても楽しめるかも。

 

末の松山。

これはおまけ。沖の石。
   
  mapion
多賀城市八幡。有名な歌枕なので地図などにも載っているが、行ってみると狭い住宅地にあるので見つけずらいかも。
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