トップページ宮城の伝説南三陸>各伝説    <凡例
 
思惑の橋 
 

 留ヶ谷にかかる橋が「思惑橋(おもわくのはし)」または「安倍待橋(あべのまつはし)」と呼ばれている。

 昔、安倍貞任がこの地を過ぎるとき、見初めた女に通うため渡った橋なのでこの名があり、貞任が残した騎馬の蹄の跡を踏むと必ず踏み抜いたという。

 また、安倍宗任が虜となって都へ送られるとき、その妻がこの地まで追ってきたが及ばず、橋の上で涙を流したという。

参考 『多賀城市史』

   
   橋の架かる川は、現在は住宅地の中でこぎれいに整備された小川になっており、昔を偲ぶのは難しいかもしれない。ただ、伝説はしっかり意識されているので、末永く残ることであろう。
 

思惑の橋。今はもう少し小奇麗かもしれない。
   
  mapion
多賀城市留ヶ谷。橋のかかる川は、「野田の玉川」として整備が進む。いくつか橋が架かるうち、ファミマの裏の橋が思惑の橋である。
 トップページ宮城の伝説南三陸>各伝説    凡例