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菊ヶ岡・念仏橋  
 

■菊ヶ岡

 笠神の東端の岡は「菊ヶ岡」と呼ばれている。

 昔、この地は某氏の屋敷であり、お菊という下女が使えていた。
このお菊が罪を犯したため生き埋めにされた。その場所に1本の松があり、その岡は菊ヶ岡と呼ばれるようになった。

 この屋敷を所有するものはお菊の祟りか次々と変わり、遂には塩釜の雲上寺に施入されてしまったという。

■念仏橋

 八幡より笠神へ砂押川を渡る橋が「念仏橋」で、「お菊橋」とも呼ばれている。

 大代村の『書出』では、昔この橋は「みたらせ橋」と呼ばれていたが津波のためたびたび橋が落ち、通行に難儀していたが、享保年間に老婆たちが10年間念仏修行をして願い、橋を架けることができた。それで念仏橋と呼ばれたという。

 また『多賀城町誌』では、昔お菊という下女が罪によって殺されたが、橋を渡るものは念仏を唱えてお菊を弔ったのだという。

参考 『多賀城市史』

   
   皿屋敷伝説を思わせる。仙台近郊としてすっかりアスファルトにおおわれ、橋が伝説の名をとどめるのみのようである。
 

念仏橋。
   
  mapion
多賀城市栄。ご覧の通り、大きい橋なので迷うことはないだろう。
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