■多賀城よもやま話
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| ■一里塚 |
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南宮の岩切境に一里塚という囲名がある。この近くに屋敷跡があり、ここに家を構えるとその家は潰れるといい、何度も持ち主が変わったが同じであったという。 参考 『多賀城市史』 |
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| 呪われた土地の話。「旅の僧を殺して金品を奪った」などの「六部殺し伝説」が伴うことが多いが、ここでは特にイワレは語られていないようだ。 | |
| ■伝上山 |
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下馬の一帯の丘は「伝上山」と呼ばれている。 昔、この地に某という侍が住んでいた。その下女が当家の家宝を誤まって壊し、下馬沼(仙石線下馬駅の下にあった)のほとりで殺された。その屍を埋めたので下女山と呼ばれたが、この名を嫌って伝上山と改めた。 下馬沼はこの下女の祟りか、堤に穴が開いて水が流れ出したという。 参考 『多賀城市史』 |
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| 伝上山の地名は今でも健在だが、狭い丘にビッシリと家が立ち並び、道は一方通行が入り乱れ、伝説の面影などというのんきなことはいっていられない状況である。なお、『多賀城市史』では、かつての下馬沼の写真を見ることができる。 | |
| ■オバ神様 |
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浮島の西沢と塩釜市玉川の境に1基の地蔵があり、「オバ神様」と呼ばれている。 昔、この地に裕福な家があってその家に仕える女がおり、者を大切にすることを心がけ流しの口に糊取り笊を吊るし、それにたまる物を食べていた。 この女が死ぬとき、自分を村境に逆さに埋めるように、そうすれば流行病から村を守ると言い残して死んだ。いざ埋めるときになってそうされず、逆さにしないで葬った。 その後村に流行病がはやったので、女にそむいたためであろうと墓を掘り起こし、逆さに埋めなおした。すると流行病はおさまったという。 参考 『多賀城市史』 |
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| 探したのだが、とにかく道が狭くて疲れたのでやめてしまった(^^;情報求む。 | |
| ■方八丁 |
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八幡村『書出』によると「方八丁塚」は本郷原にあり、今は畑の中に土手形ばかり残っていると記している。 昔、八幡太郎義家が軍を進め、軍勢がこの地の八丁四方に満ちたのでこの名があるという。 また、この地に昔本郷某という長者が住んでいた。この長者がある夜この方八丁を通ると、土の中より鶏の鳴き声が聞こえるので不思議なことと翌日になって掘ってみると、金の鶏が出てきた。 鶏は毎年元日の朝だけ鳴き、長者の家は益々繁盛した。当家ではこれを家宝としていたがある時利府の方へと飛び去り、以来当家は次第に貧しくなったという。 参考 『多賀城市史』 |
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| 周辺は現在は国道45号が通り、長者もビックリの繁栄ぶり。金の鶏が戻ってきてどこかに潜伏しているのだろうか。 | |
| ■黄金沢 |
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市川村『書出』に「こがね沢清水」とあり、昔、金の蟹が棲んでいたと伝えるとある。『塩松勝譜』には「小蟹沢」には小蟹が多くこの名があり、土地の人々は「黄金泉」と誤まって呼んでいると記している。 この地の某家の屋号は「黄金沢」と呼ばれ、昔この地に館があって、その宝物を隠した場所が 朝日さす夕日輝くコウガ(木の名称)の下に漆千杯黄金億々 だと言われていた。あるとき馬がこの一帯を駆け回り、埋めてあった漆の壷を踏み抜いたらしく、トモアシ(後足)に漆をつけて戻ってきた。しかし結局、確かな場所はわからなかったという。 参考 『多賀城市史』 |
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| 典型的な黄金埋蔵伝説。掘ってみる? | |
| ■トドミガ原 |
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大代の鶉野に踏むと太鼓の音がするところがあり、トドミガ原と呼ばれている。 大代村の『書出』には「原ノ中央ニ踏メバ異音アリ、太鼓ノ如シ」とある。この地は発掘調査されたが、石棺が出土している。 参考 『多賀城市史』 |
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| 踏むと太鼓の音がする土地なんて、なかなか愉快なお話だ。地中の石棺がドンドンと音をたてていたのだろうか? | |