小野小町は出羽出身で、才色兼備であったため宮中に迎えられたが、やがて年老いて容色が衰えてきたので、故郷の出羽に帰ることにし、京を発った。
しかし、奥州夜烏の地にたどり着いたときに悪病を患い、しかたなく夜烏に身を寄せ、程近い氷室薬師に病気平癒の祈願のために百日参りをしたが、あと一日で満願というときに精根尽きて倒れ、帰らぬ人となってしまった。
里人はこれをあわれみ、遺骸を手厚く葬った。
数年後、京都を追放になった在原業平が彷徨して夜烏へやってきた。すると、どこからともなく泣くような悲しい声で「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」という歌の文句が聞こえてきた。
不思議に思って見渡すと、かたわらの草わらに風雨にさらされたどくろがころがっており、目の穴から一本のススキが生え、秋風が吹くたびに「秋風の…」という歌を発しているのであった。
その夜、近くの民家に泊めてもらった業平の枕もとに、かつて京都でのあでやかな姿の小町が現れ、「先程お目にとまった草むらのどくろはわたしのなれの果てでございます。はからずも懐かしいあなたにお会いして、こんなにうれしいことはございません。しかし、目の穴に生えたススキが風の吹くごとに揺れてすれるので、痛くてたまりません」と語るのであった。
次の日、業平は早速そのどくろのもとへ行き、どくろを拾い上げ、目の穴のススキを抜き取って、「小町とはいはじすすき生いけり」と下の句をつけて、ねんごろに葬ってやったということである。
参考 『古川市史』『宮城の伝説』(角川書店)