■北川内の夜泣き石
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安政二年に建てられた湯殿山碑は、北川宇戸に2つ並んでいた大きい方の石を4年かかって運び建てたものである。 しばらくして、残された方の石の苔がいつの間にか赤くなって枯れていた。これは、残された方の妻の石が、夫の石を恋焦がれた熱で枯れたのだろうと言われた。 また、真夜中になると、シクシクとすすり泣く声が道行く人に聞こえ、これも独り身の寂しさゆえに泣くのであろうと、人々は路傍に祠を建てて祀った。これを夜泣き石という。 参考 『宮崎町史』 |
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| 悲しい石の伝説。どちらの石も現在残っているという点で、見学はなかなか面白い。 夫の石は宮崎の中心部の町はずれにあり、確かに大きな姿で「湯殿山」と刻まれている。道行く人も比較的多く、ランドマーク的な存在である。 しかし、もう一方の妻の石の方は、そこからはるかに離れた部落の、最近廃道になってしまった細い道の路傍に、雑草に覆われ寂しげに立っていた。 なんという違いだろう。そりゃ泣きたくもなる(笑)。「祠がある」という記述があるが、それらしいものは無く、かろうじてお線香を焚いた跡が認められるのみであった。道が廃道になってしまった今、地元の人にすら忘れ去られてしまうのも、時間の問題かもしれない。意識して保存する必要がありそうだ。 |
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