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隆直の変化  
 

 再建以前の来迎寺は、本堂も庫樫も南面し、今の裏門は表門であった。道路から境内に入る左側に、高さ1.2メ ートル巾0.7メートル位の自然石が建っていた。万霊塔と筆太に彫られた右側に「万延元年」の年号が見られるから、今から約百十年程前のものである。
 この塔が隆直の供養塔とも、また墓とも言われて来た。その石碑の頂上左側に、あたかも刀で切り削られたような跡が残っている。照井太郎隆直の伝説はこの跡から生れている。

 照井太郎隆直は、西大崎丸山にある照井城の主。平泉の英君藤原秀衡の家臣であった。
文治の戦で照井太郎は、源頼朝の臣仁田四郎忠常に攻められ、城は陥ち隆直は捕えられて首をはねられ、妻子一族は焚死したと伝えられている。

 太郎隆直が捕えられて首をはねられると、隆直の冠っていた鳥帽子が飛んで、遠く来迎寺の前にある田の中に入った。
翌年からはその田は稔らなくたった。後の人達はその田を烏帽子田と呼び、隆直のために一基の碑を建ててその霊を厚く弔った。

 ところがいつの頃からか、来迎寺の門前に夜な夜な変化が現われて、道行く人を悩ますことがしぱしぱであった。
それを聞いた伊達家の家臣、山崎弥五郎なる剣術の達人が、ある夜この怪物にめぐり合い、一刀両断のもとにこの変化を切り捨てた。
翌日弥五郎が昨夜の場所に行って調べて見ると、なんと隆直を弔った碑の頂上を切断していた。それ以来怪物は出現しなくなり、稔らなくなった田は来迎寺の所有にして、改めて隆直の霊を弔ったという。

 隆直を弔った碑といわれるのは、実は万霊塔であって、今は山門から入って左側に移され、長く保存されようとしている。

参考 『岩出山町史』

   
   類型的なお話。しかも、山崎弥五郎なる人物、古川市氷室の来迎柱を斬ったという、同型の伝説が伝わっている。なおかつ「来迎柱」と「来迎寺」って、「来迎」つながりではないか。明らかに関連がありそうだ。
 なお、件の万霊塔は、町史に写真が載っていたので、すぐに発見することができた。
 

万霊塔。

整備された寺の周辺。
   
  mapion 【Google Maps】
大崎市岩出山字浦小路。この地図ではわかりずらいかもしれないが、とにかく駅から数分のところである。
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