■怪力朝比奈三郎
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加護坊山は昔朝比奈三郎の住処であった。三郎は身の丈2間以上、いつもチャンチャンコを着て荒縄の帯をしめ、高下駄を履いておった。 ある年の夏、殺風景な住処を少し飾ろうとふもとへ下り、太いモトチ(綱)でからげた大石を片手でかついで帰ったが、途中カメバチ(スズメバチ)がまとわりついてうるさく、腹をたてて石を放り投げて帰ってしまった。その大石は3uもあって、太いモトチの跡もはっきりついて残っておる。 またある年の春、なぐさみに弓を引いてみようと思った。西の方を見ると的に手ごろな山が見えるので、大竹を束ねて射た。しかし土煙があがらぬ。立て続けに11本撃ったが、やっぱり煙が見えぬ。ええいと思って一目散に駆けて行って見ると、12本の矢は1ヶ所に束になって命中しておった。矢を食った山だから、三郎は矢喰山と命名した。今の薬莱山である。 だいたい、どれほどの力があるのか、誰にも測りかねる。三郎自身にもわからない。そこである日、大きな木の椀を作って団子10個を入れ、西の方角に向かって力いっぱい投げてみたところ、くだんのお椀は3里離れた通木地区に落ち、団子は150間ばかり西に離れたところに落ちた。以来そこはお椀こ山、団子山という。 ある日、大いびきをかいて昼寝をしておった。ところが蕪栗沢の鴨どもがガヤガヤ騒ぎ出して目をさました。腹が立ったので、そばにあった石ころを投げつけたところ、石ころは沢を飛び越えはるか向こうの南方村沼崎前に落ちた。土地の人々は天から授かったこの石を御神体として、石上神社に祀ったのである。 大男総身に知恵がまわりかね、とよく言われるが、朝比奈三郎は、なかなか知恵者であったようだ。ただ、少々短気だったが、人間無くて七癖、こんな欠点は物の数ではあるまい。なにぶん勇ましく、めでたいことだ。 参考 『田尻町史』 |
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田尻町の東にゆったりとした裾を広げる加護坊山に伝わる巨人伝説。 県内には巨人としての朝比奈三郎伝説がいくつか見られ、沼を掘ったり、山を作ったりと大忙し。神話の断片のようなものを垣間見ることが出来る。 ただ、ここで言う朝比奈三郎は身の丈2間(約4メートル)。巨人と言うより大男といった感じで、いささかスケールはダウンするが、 百発百中の弓の腕前というのは侍としての性格を帯びているということか。 朝比奈三郎と言えば、通常は鎌倉時代剛勇で名を馳せた侍。もしかしたらこれは、巨人三郎と侍三郎をつなぐ伝承なのかもしれない。 ちなみに薬莱山に矢を放ったのは、地元小野田町では田村麻呂となっている。 |
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![]() 加護坊山遠景。 |
![]() こちらは石上神社である。 |
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