■その1
昔、松島に宮千代という美童がおり、歌をよくたしなみ、折々には京にも歌を送り、宮廷の者からも絶賛を受けていた。宮千代は京都へ行きたいと思っていたが、親代わりの見仏上人は危険だから待ちなさいと言い聞かせていた。
ところがある日、宮千代は思い余って一人ひそかに松島を出、遥か京都を目指し、宮城野の里までやって来た。そこで宮千代は
月はつゆ露は草葉に宿かりて
と詠んだが、下の句が思い浮かばない。考えながら進むうち、うっかり馬から落ちて死んでしまった。里人はそれを哀れに思って葬り、塚を築いてやったが、毎夜塚から亡霊が出てきては恨めしそうに『月はつゆ…』と上の句を口ずさんだ。
そのことを聞いた見仏上人がさっそく塚へやって来ると、果たして亡霊があらわれ『月はつゆ…』と詠んだので、
それこそそれよ宮城野の原
と下の句をつけてやったところ、それからは亡霊は現れなくなったという。
■その2
昔宮城野原にひとりの老人が住んでいた。ある時、関東から下った僧が通りかかって水を所望したところ、老人はただ『月はつゆ露は草葉に宿かりて』と口ずさんだ。
この僧はその後も度々この老人の前を通ったが、いつも『月はつゆ…』と口ずさんでいる。ある時、僧が師の和尚にこの事を話したところ、「わしが若い頃、その老人が関東へやって来たとき、その歌を教えてやった事があったのだが、下の句を忘れてしまったと見える」と語った。
そこで僧は和尚から下の句を聞いて、再び宮城野原の老人に会い、上の句を口ずさんだときに、早速『それこそそれよ宮城野の原』と言ったところ、老人の姿は煙のように消え失せて白骨と化した。
参考 『仙台市史』