■鹿の子清水
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これを鹿の子清水といったのは、昔頼朝が富士の裾野で巻狩をしたとき白鹿が出て、ここまで逃れてきて清水を飲んだからだなどといい、またある時、鹿の子が水を飲もうとして死んだからだとも言うし、あるいはまた常に鹿の子模様の泡が立っているからともいうが、白い底の岩に黒い砂や小石が食い入りそれが鹿の子まだらに見えるからだともいわれる。 昔から仙台の三清水に数えられ、政宗もしばしばこの泉を汲ませて茶に用いたという。 慶長6年にこの清水のほとりに宝泉寺という寺が建ち、後に北山に移ったが、境内に井戸を掘ったところ非常に良い水が沸き、鹿の子清水から泉がついていったのだろうといわれた。この井戸は何か近所に変わり事があると、それを知らせるように水の色が変わったり水量が減ったりしたという。 参考 『仙台市史』 |
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コンクリートとアスファルトに囲まれた現在では、たとえ清水が湧き出ていても「飲んでいいのか?」と躊躇してしまうかもしれないが、かつて仙台は三清水が数えられるほど湧き水が豊富であったという。伊達政宗の文化教養レベルも高かったことから、さかんに茶の湯に利用されていたに違いない。 そんな三清水のひとつ、鹿の子清水は現在でも個人宅地内に微量ながら出ているらしい。また、「鹿の子清水通り」として地名にも刻まれており、辻標も立っている。清水が住民に愛されていたことの証であろう。 |
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![]() 「鹿子清水通」の辻標。 |
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【Google Maps】 青葉区米ヶ袋2丁目。ちょうどこの地図のあたりに辻標があったハズ。 |
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