■唸り坂と牛越橋
寛永15年、2代忠宗が仙台城二の丸を造営したとき、国見峠の近くから石を切り出してこれを牛の背に積んで運搬した。
そのとき、この坂を上り下りする牛が唸ったのでウナリ坂と言うようになったという。それが後になまってウナギ坂と呼ぶようになった。
この坂から八幡町を横切って広瀬川に下るところを牛越と言うのも、石を積んだ牛がこの川を越えて往来したからだという。
参考 『仙台市史』
■川獺の大入道
昔、この坂にある大岩が毎夜唸り声を放つという噂が立ち、日没後の往来が途絶えてしまった。「それはおそらく古狸か野良狐の仕業に違いない」と勇んで出かける者もいたが、打っても叩いても巨岩相手では刃がたたず、また唸り声がどんどん大きくなるので根負けして引き上げるのだった。
そうしているうちにこの大岩が雲をつく大入道の姿に化けて割れ鐘のような声を立てるようになったので、退治に出かける強がり屋もとうとういなくなってしまった。
評判は日増しに強くなり、いつしか藩主政宗卿の耳にも入った。自分の膝下にそうした怪異があるとは打ち捨てておけぬと部下に探査を命じたが、これも結果は同じで、大岩はどうにもならない。
「ならば予自ら正体見届けてくれん」と、剛毅な政宗卿は強弓を携え日没後現場へ出かけた。
さて大入道も政宗相手にいきんだのか、いつもより倍もあろうかという姿となってハッタとにらみつけた。しかしこんなことでへこたれる政宗卿ではない。片目で大入道を見やりながら強弓に白羽の矢をつがいて、大入道の足元を狙ってヒョウと放った。闇を破るようなものすごい叫喚が響き、大入道の姿は消えた。
政宗卿は直ちに付近一帯を捜索させたところ、少し隔たった大岩の間に子牛ほどもあろうかという大川獺が白羽の矢を脛に食らってうめき苦しんでいたので、これをひっ捕らえたのだった。
以来この坂道に怪異は無くなり、唸り坂と呼ばれるようになったのだという。
参考 『滅び行く伝説口碑を索ねて』(T15・富田広重・富田文庫)