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太白山の伝説     
 

■太白山の巨人

 大昔、この山頂に巨人が棲んでいた。てっぺんに腰をかけ、右足を1里余り東南にある高舘山の麓の吉田村の田の中におろし、左足は閖上や荒浜におろして長い手で太平洋から魚や貝をとって食っていたという。
 貝殻は茂庭の岩の川に捨てたので、今でも貝塚のような厚い層ができている。

 時々は麓の村へも出ることがあって、田畑のせわしい時などはよく手伝いをしたという。

 山頂東北に敷石という大きな岩があるが、これは巨人がいつも腰をかけた石だということで、山の東南に流れている洗沢は足をすすいだ所だという。
  吉田村には巨人の足跡だという長さ3尺ばかり足跡のついている石が残っている。

■生出森

 太白山は生出森といって、1晩のうちにできた山だという。

 大昔、麓にオトアという女が住んでいて、夜中に小便に起きたところこの山がムクムクとおがっている最中であったが、オトアにひと目見つけられたとたんにそれっきりおがらなくなってしまった。
  もし見つけられなかったら富士山よりも高くなるはずだったという。それでこの山をオトアモリともいっている。

 このとき、品井沼の所がへこんで大沼ができたと言われている。

■ウドの大木

 オドガモリのてっぺんに大昔ウドの大木が生えていて、その枝が四方に広がってその下で影になった村々では田畑のものが実らなかったので非常に困り、みんなで相談の結果その木を切り倒すことになった。

 ところが1晩のうちにオガクズが集まって切り口をふさいでしまい、翌朝には再びもとの大木になっている。
  何度繰り返しても同じであったが、山頂に貴船神社を祀ると良いという者があって、その通りにしたところ今度はやっと切り倒すことができたという。

 ウドの幹は名取川の水底に沈み、亜炭となったという。
  また、このウドの精をなぐさめるために山の麓に大木山雲導寺という寺を建てたが、今はない。

■太白山のメッコ神

 オドガモリの神さまはメッコだったという。ある時、山中であやまってウドガラで目を突いたため片目になったそうで、今でも麓の茂庭や梨野ではウドを食べたり作ったりしてはいけないとされている。

■太白山の八幡神社

 文治5年、源頼朝が陸奥を平らげたとき、相州鶴岡八幡宮をここへ移し、山頂に社を建てた。
 すると山が怒り、悪い天候の日が続いた。

 これは貴船神社の崇りに違いないと、八幡の祠を山の中腹へ移すことにした。それで悪い天候もようやくおさまったという。

 寛永のころ、中腹の八幡神社を嶽宮とし、さらに元禄のころ、社殿を里宮として茂庭の地に移したという。

参考 『仙台市史』、『宮城の伝説』(日本標準)

   
 

 仙台南郊のシンボル、太白山。仙台南部を太白区と呼ぶことからも十分わかるのだが、実際に見てみるとやはり存在感が違う。
  だがしかし、太白山は、決して高い山ではない。周辺は比較的山がちの地形で、低い稜線高い稜線が重なり、太白山よりも高い山もたくさんある。でも、まわりの山々から独立し、こんもりと力強くそそり立つその姿は、やはりどこかユーモラスでもあり、頼もしくもあったりする。なんだか里山の親分みたいな、親しみやすさがあるのだ。

 そんな麓の民から愛され続けてきたであろう太白山は、上記に挙げたとおり、伝説の宝庫である。
  巨人の話はいわゆる手長足長の話で、貝塚が伴っているのはまさにその典型。娘に見つかり止ってしまう山の成長も各地に見られる。大木を切る話は、この周辺では山形のアコヤの松が有名だし、メッコ神の話は作物の禁忌である。実に様々な話のモチーフが、太白山と結びついているのだ。
  これは伝説のモチーフがよそから伝播してきたときに、人々が真っ先に太白山と関連付けたからではないか。それだけ人々の太白山へ寄せる想いがあったということなのであろう。

 ちなみに、僕が気になるのは「太白山の巨人が田畑へ出て作業を手伝った」というくだり。
  これはまさに津軽の岩木山に棲むというオオヒト(鬼)ではないだろうか。岩木山のオオヒトといえば、農耕の神でもあり、山中の異民族でもある。貴船神社といえば京都の鞍馬が思い浮かぶし、もしかしたらこの裏には太白山中の修験者の姿が隠れているのかもしれない。

 

人来田あたりより太白山を臨む。


蕃山より太白山を見下ろす。
   
  mapion
j太白区茂庭。登るときは東麓の八幡神社のところから。
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