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蕃山の伝説    
 

■蕃山の天狗

 昔、弘法大師がこの山に来たとき、蓮華の花に似た根張りを見て、霊場にしようと決心し99谷まで開いたが、天狗の群れに邪魔されてついに最後の1谷を開きかねたので、あきらめて紀州へ行き高野山を開いたのだという。

 松島瑞巌寺中興の雲居和尚がこの山の東の麓に大梅寺を建てて引退しようとしたときも天狗どもが現れて、和尚の法力を試そうと夜と無く昼と無くさまざまのいたずらをしたが、この山を根城にしていた萬二萬三郎兄弟が、そのたびごとに天狗を追い払ってやった。

 和尚は兄弟に感謝して、山頂に座禅堂を建てたとき、二王護国大権現と名づけて山の鎮護としたのだという。

■萬二萬三郎

 萬二萬三郎兄弟は山賊だったともいう。兄弟そろって狩の名人で、兄の萬二は名取二口峠下の磐司という大岩、弟の萬三郎は蕃山を根城として、最上の山寺から蕃山までを縄張りにしていた。
 また2人は狩のかたわら旅人をつかまえては追いはぎを働いていた。

 さて、蕃山には白鹿が棲んでいて、伊達政宗はこれを生け捕りにして将軍様に献上しようとしたが、足軽が誤って殺してしまった。政宗は怒ってその足軽を手打ちにしようとしたが、家老が諌めて、足軽に白鹿堂を建てさせ弔うことにして命を助けられた。

 この白鹿堂に、政宗・忠宗2代にわたって体を厚くして瑞巌寺中興に迎えた雲居和尚が隠居としてやってきたのだが、ある夜、萬二萬三郎はこの和尚の庵に押し入った。
 雲居和尚ほどの高僧だから定めし金目の物を持っているに違いないと思い込んでのことであったが、和尚は微塵も動じず、「こんな山の中の庵に何もあろうはずがあるまい。百文にもなるまいが、これでも持っていけ」と言って法衣を脱いで投げてやり、次のような歌を口ずさんだ。

先の世で借りたる物を今なすか この世で借りて先でなすのか

 兄弟は法衣を手にして行きかけたが、和尚の神々しい態度となんだか気味の悪い歌に顔を見合わせるのだった。

 そのあくる日、兄弟は再び和尚の元へやって来て、山賊の足を洗って弟子となり、一生を蕃山に送ったという。

 東蕃山の山頂に雲居和尚を葬った常寂光塔という廟があって、また雲居堂と称し、中には和尚を真ん中にして左右に萬二萬三郎兄弟の木像を安置してある。
 麓の大梅寺では昔から名高い泥棒よけのお札を出している。
 また盗癖のある子の親は、その子を連れて山頂の雲居堂に詣でて洗米を上げて祈祷し、それを混ぜて炊いたご飯を食べさせると盗癖が止むといわれる。
 また堂内には手作りの小さな弓と矢が奉納してあるが、これは兄弟の腕前にあやかるよう麓の村々のマタギが上げるのである。

参考 『仙台市史』

   
 

 折立から茂庭へ抜ける県道31号線は、混雑する市街地を回避して仙台の北部と南部を行き来できるので、車通りもすこぶる多い裏幹線道路である。この通り沿いに大梅寺があり、その寺のある山が蕃山だ。
  うるさい県道から逃げるように大梅寺の石段を登って行くと、やがて騒音も聞こえなくなってくる。苔むした石段の両脇には様々な表情をした羅漢像が立ち並び、神聖な雰囲気をかもし出す。
  やがてすぐに大梅寺が見えてくるのだが、これはまだほんの入り口である。雲居和尚と萬二萬三郎の伝説が残る雲居堂は、ここから蕃山山頂まで登山をしなければならないのだ。とは言っても、健脚ならば行って帰るのに40分もかからないので、ちょっとしたハイキング気分で行ってみよう。ただ、「クマ出没」の看板が出ているのでその辺は要注意なのだが・・・。

 ちなみにマタギの祖と言われる萬二萬三郎は、山寺や秋保にも伝説が残っている。二口峠を挟んで帯状に分布しているところを見ると、やはりこの辺りが伝説発祥の地なのであろう。同じ系統のマタギが活躍していた範囲ともとれる。蕃山はその東端に位置する形となっているので、面白山あたりを中心にでもして奥羽山脈で活動していたのだろうか?

 


登山口の石段。


石段の脇には羅漢像が。


山頂の雲居堂。


大梅寺のお堂。

   
  mapion 【Google Maps】
青葉区茂庭。登山道はいくつかあるが、東麓の大梅寺からが良いか。GoogleMapsで大梅寺を示しておいた。
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