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振袖丁 
 

 ここは昔蜂屋敷と称したところで、承応元年2代忠宗が西国から蜜蜂を求めてきて、ここに方百間の屋敷をかまえ飼っていたところ、翌2年7月大雷雨があって、蜜蜂は全部どこかへ飛び去ってしまい、その後長い間荒れ屋敷になっていたという。

 その頃のことか、蜂屋敷の隅に栗の古木があって夜な夜な振袖姿の娘が現れて泣いていたり、栗の木の上から袖を振って通行の人を手招きしたり、ニタニタ笑ったりした。
 ある夜1人の侍が通るとまた手招きをしたので侍は小束を抜いて投げつけたらそのまま姿を消した。翌朝行ってみると大きな古狸が死んでいたという。
 これが振袖丁の名の起源と言い伝えられ、蜂屋敷にはこの狸を葬った狸塚というのがあったという。

 この侍は新陰流の指南番、狭川新三郎ともいわれている。

参考 『仙台市史』『宮城県史』

   
   仙台城下にいくつかある怪異ポイントのひとつ。通説的には、小田原長丁通から小田原車通に通ずる曲がり角の形が振袖の袖下に似ているため振袖丁の名があるという。荒れ屋敷の雰囲気と振袖丁という地名から怪談が生まれる下地ができたのであろうか。現在は『小田原振袖丁』の辻標が往時をしのばせる。
 

『小田原振袖丁』の辻標。

   
  mapion 【Google Maps】
青葉区宮町1丁目。たしかここだったような・・・。辻標はさりげな〜く立っているので、よく探そう。
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