この毘沙門は、もと長町東の北目城主粟野大膳の御持仏であった。
政宗が北目城を攻めたとき、城はいつも黒雲につつまれて見通しが利かず、なかなか落ちなかった。これは毘沙門の加護のためだということで、ある日政宗は「城が落ちたなら今よりももっと立派にお祭りをしてさしあげますほどに何卒お力をお貸し願いたい」と祈願したところ容易に攻略することができた。
そこで約束どおり仙台開府ののち荒町まで毘沙門さまを運んできたとき、政宗は「この毘沙門は誰彼無しに願いを聞いてくれるから今度はこっちの番になっては大変だ」といって道端の堀へ捨てていってしまった。
それを何も知らぬ子供たちが拾い上げてわいわい担ぎ回っているところを大人たちが通りかかって、見れば立派な毘沙門さまだということで今のところに安置したという。
それから梵鐘を奉納することになったが、どうやって吊り上げようと大人たちが思案の最中に子供たちが寄って来て、「鐘の下から板を差し込んで重ねていってだんだん高くすればいい」と教えてやった。
毘沙門さんは子供たちの知恵を大変喜んで、「さてさてお前たちは感心なものだ、褒美にひとつ何なりと望みをかなえてやろう」と言ったところ子供たちは口をそろえて、「赤ん坊のお守りをさせられるのが一番困るからさせないようにしてください」と言った。それ以来荒町では子供に赤ん坊のお守りをさせない慣わしになった。
毎年旧6月1日の祭礼には子供相撲が行われ、これも毘沙門さんが喜ばれるからだという。
参考 「仙台市史」