■実方中将の墓
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藤原実方は一条天皇に仕え、和歌に秀で、左近衛中将に進んだ。 あるとき、東山で遊んだとき、にわか雨の中爛漫たる桜の下で詠った歌が、皆の絶賛をうけた。しかし次の日、藤原行成はそれを聞いて、「なるほど歌はうまいが実方は馬鹿者だ」と批判した。怒った実方は行成の冠をとって地に投げ捨てるという暴挙にでた。天皇はその無礼に怒り、実方の中将位を剥奪し、「歌枕を見て参れ」と新たに陸奥守に命じた。 |
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| 土地に伝わる伝説は上に挙げたところで終わりだが、石燕の『今昔画図続百鬼』によると、この後実方の都へ帰りたい思いはつのり、その一念が雀になって京へ飛んでいったということで、それを「入内雀」という名で描いている。 さて、この実方死亡の事件は、当時の地方・朝廷には大ニュースだったようで、笠島周辺には実方中将にまつわる伝説を持った地名がたくさんある。たとえば、「仮宿…落馬した実方を仮の宿としてここに運び、介抱した」、「文捨山…実方が病床で京に便りを書こうとしたが果たさず、ついにこれを捨てたところ」などなど。 肝心の墓は、田園風景の広がる県道から少し入ったところにある。観光地としてそれなりに整備されていて、県道沿いにでっかく「実方中将の墓」という看板があったりして、見つけやすい。また、実方が他界したこの地は、後の歌人たちの求めるところになり、西行が訪れたり、芭蕉が探し求めたりしたことも有名で、墓の近くにはこれらの人達の歌碑、句碑も建っている。 |
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