大同二年(808年)、坂上田村麻呂は征夷大将軍となり、東夷征伐のため奥州へやってきたが、岩沼の地を過ぎるとき、藤衡という者が将軍に謁見した。
藤衡は「東方の茅野に変化が棲み、日没になるとあらわれて近郊の田畑を荒らし、作物を奪っていきます。住民は恐れ、誰一人夜間に外出する者はおりません。将軍のお力で、良民の苦しみをお救いください。」と懇願した。変化のものとは、小は数尺より大は八尺にもおよぶ大蟹であった。
将軍はこれを快く承諾し、策を練った。
まず里人を集め、大きな釜を3つ用意させ湯をわかし、野原の一方から変化のものどもに熱湯を浴びせ掛けさせた。蟹どもはたまらず逃げ出したが、それを待ち受けるように兵を配し、逃げ場を失った大蟹小蟹はついに退治され、里人の苦難は救われたという。
将軍は、蟹退治の成果は里神のご加護であるとして、千手観音を安置して梵天寺を建立したという。
梵天寺はのちに焼失し、宝暦二年に正観世音を安置した観音堂を建立した。これが現在の林観音堂である。
また、将軍が釜で湯を沸かさせた場所を、「北釜」「相の釜」「長谷釜」「釜の先(蒲崎)」などと呼んでいる。
参考 『岩沼の民話』(岩沼市老人クラブ連合会)