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■名取よもやま話
   
  おたたかじょぽっとさけた 
 

 昔、愛島の山奥に3人の兄弟が住んでいた。毎日山芋を掘り、町へ行って米と取り替えて暮らしをたてていた。

 ある時、兄が山へ出かけた後で、留守番をしていた弟と妹は空腹になり山芋を煮た。そして、兄においしいところを残し、自分たちはおいしくない部分だけを食べて昼寝をしていた。

 帰ってきた兄はおいしそうに煮えた鍋のいもを見た。そして、「こんなにおいしそうなところを残しておいたのか。ならば、弟や妹はどれほどおいしいものを食べたというのだ」と疑心をおこし、寝ている弟たちの腹を包丁で裂いてしまった。しかし、出てきたのは芋の悪い部分ばかりであった。

 兄は驚いたが時すでに遅く、天罰が下った。「お前は鳥になって1日に8千と8声鳴きなさい」と神様にいわれ、何と鳴くのかと聞いたら、「おたたかじょぽっとさけた、おたたかじょぽっとさけた」と言われたという。

 それから兄は鳥となり、愛島の奥で「おたたかじょぽっとさけた」と口の両脇から血を吐きながら鳴いているのだという。

参考 『なとりむかしばなし』(名取市観光協会)

  随分と残酷な話だ。血を吐きながら鳴くこの鳥はなんだろう。わかる人がいたら情報下さい。
  テデッボッポ土手つけ土手つけ 
 

 高舘の山奥に、分からず屋の次郎太とおばあさんが住んでいた。おばあさんは次郎太をたいそうかわいがったが、大きくなるにつれてあまのじゃくばかり言うようになった。

 ある時、おばあさんが「次郎太や、山へ行って炭を焼いてきてくれろ」と言うと、「やんだよ、海さ魚捕りさ行ぐんだ」という具合で、とうとうおばあさんは病に伏せてしまった。

 おばあさんはどんどん衰え、やがて死期を悟った。そして次郎太に死んだ後里に埋めてもらおうと、「私が死んだら浜へ埋めてくれろな」とたのんだ。すると次郎太はおばあさんの最後のたのみと思って、本当に浜へ埋めてしまったのだった。

 おばあさんの墓は、雨が降るたびに流されそうになった。さすがに困った次郎太が神さまにお参りしてみると、「おまえはあまのじゃくばかりしていた。これからは山鳩になって、雨模様の日にはテデッボッポ土手つけ土手つけと鳴け」と言われ、山鳩にされてしまった。

 それから雨模様の日には、山鳩がいつまでも鳴くようになったのだという。

参考 『なとりむかしばなし』(名取市観光協会)

  上とよく似た話。因果応報というわけである。
  人が鰈(かれい)になった話 
 

 昔、閖上は名取郡東多賀村と呼ばれ、ある大金持ちの家があった。この家の人々は大変気の優しい人たちで、まわりからも信用され、幸せに暮らしていた。

 ところがある日、主人が突然腹痛をおこし、そのまま亡くなってしまった。そしてそれからは毎年のように家族が亡くなり、とうとう祖母と孫の2人っきりになってしまった。

 祖母はたった1人の孫をそれはそれは大切にし、孫は横柄に育ってしまった。

 ある時祖母が「町へ行って買い物をしてくれ」と頼んだところ、孫は「いやだ」と言って聞かない。今まで怒ったことの無かった祖母は、このときばかりは怒り、「お前は一度もわたしの言うことを聞いたことがない。今に背中に目がついて鰈になるからな」と言った。孫は「それが本当なら海に入ってみるぞ」と海の中へ入り、いくら待っても帰ってくることはなかった。

 祖母が家に帰ってみると、宵の口になったころ呼ぶ声が聞こえた。外へ出てみると、大きな鰈が1枚いて、「おばあさんの言うことを何一つ聞かず、世間に迷惑なことばかりしていたので、こんな姿にされてしまいました。おばあさんさようなら」と言うと、また海へと泳いで行ってしまったという。

参考 『なとりむかしばなし』(名取市観光協会)

  因果応報譚その3。関係ないが閖上は「ゆりあげ」と読み、難読地名として有名である。
  手倉田 
 

 昔、この地に弾三郎という大百姓があった。近隣に並ぶものが無い富豪で神仏を拝まず、高利貸しをして人を憐れむことをしなかった。

 あるとき、となりの貧しい女が立派な着物一枚で金を借りていった。数ヶ月たって女が利息をつけて金を持ってきたが、弾三郎は期限が11日過ぎているという理由で着物は返せないと言った。女は、着物は母の形見なのでなんとか返して欲しいと頼んだが、弾三郎は許さず、最後に女が持参した金を踏みにじって別室へ去った。

 女は力及ばず帰ったが、余りの無念さに病気になって死んでしまった。

 翌年の夏、弾三郎は大きな倉に入って質にとった衣類の虫干しをしていた。そして、となりの女から取った着物を広げたときである。そこに真っ白に痩せた肘があった。それが見る間に伸びて弾三郎の顔をサラサラと撫でた。弾三郎はびっくり仰天して気を失って倒れた。

 しばらくして妻子が倒れている弾三郎を見つけ、大騒ぎで介抱したが、遂に死んでしまったのだった。

 その後、五八郎が相続したが、財も屋敷も雪霜のごとく消え失せ、子孫も絶えたという。 因縁の着物をしまった倉も田になった。それでこの地を手倉田といったという。

参考 『名取市史』

  手倉田の地名譚。石燕の妖怪「小袖の手」を彷彿とさせる怪異である。
  ぬか塚 
 

 館腰の植松に旅館があり、おきくという人が住んでいた。

 ある時、京都から瀬戸物屋が来てこの宿に泊まった。この宿には鶏を描いた6枚の屏風があり、おきくが「この屏風の鶏が、朝の4時になるとときを告げるのです」と言ったところ、客は信じようとしない。2人は言い争いの末、もし鳴いたら瀬戸物全部を置いていくが、鳴かなかったら宿の財産を全てもらうということで決着した。

 しかるに明くる朝、鶏は鳴いた。瀬戸物屋は荷物を全部とられ、すごすごと帰っていった。

 数年後、同じ瀬戸物屋が大荷物をかかえて何食わぬ顔でやって来て、また同じ賭けをした。しかし、今度は鶏は鳴かなかった。客は、寝る前に屏風の鶏の首に針を刺していたのである。おきくは財産を全てとられてしまったのだった。

 また、この時瀬戸物屋が持ってきた荷物は、瀬戸物ではなく実はぬか俵であった。これを捨てたところ大きな塚ができ、ぬか塚と呼ばれたという。

参考 『なとりむかしばなし』(名取市観光協会)

  おきくのその後の因縁が気になるところだが、突然「ぬか塚」の由来が語られて終わり。なんなんでしょう・・・?(^^;
  姑と嫁 
 

 高舘の余方に、姑のおよしと、嫁のおわきが住んでいた。この2人はあまり仲が良くなく、世間話や相談もしなかったという。

 そのうちおよしが病気になり、寝込んでしまった。常日頃仲のよくない2人であったので、これといった看病もせず、およしはだんだん弱っていった。そして今かとなったとき、およしはおわきを枕もとに呼んで、「私が死んだら、私が寝ているところの板をはがしてみなさい」と言った。

 やがておよしが死んだ後、おわきはおよしをのけて板をはがし、中をのぞいてみた。すると、おわきの喉に何やらまとわりつくものがある。いくら取ろうとしても、医者にかかっても治らず、とうとうおわきは死んでしまったという。

参考 『なとりむかしばなし』(名取市観光協会)

  これはさらに謎多き怪異譚。このくらいだと世間話になるかも。おわきの喉にまとわりついたのって、なんなんでしょう・・・?
  鬼瓦 
 

 昔、閖上高柳村には長者が何軒もいた。みな瓦屋根で、棟の両端には大きな鬼瓦を飾っていた。

 隣村にも財産家がそろっていたものの、こちらは藁葺きだらけであったので、鬼瓦をうらやましく思っていた。「いつか鬼瓦を盗んでくっかや」と冗談交じりで話し合っていたが、そのうちに本気になってしまい、3、4人の若者が雨の降る番に高柳村へ出かけた。

 屋根にはしごをかけ、鬼瓦を取ろうとしたところ、鬼瓦がうなり声を上げた。若者たちはびっくりして逃げ帰った。

 諦めきれない若者たちが、今度は星空の晩にまた鬼瓦を盗もうと屋根へ上がったところ、鬼瓦はいくつも唸りだして村中に響いたので、再び逃げ帰ったのだった。

 数日後若者たちは高柳村へお詫びに行った。主人は快く若者たちを許し、ご馳走をふるまったので、若者たちは己を恥じ、人を羨むことなく、自分たちの家を瓦屋根にして鬼瓦を飾ったのだという。

参考 『なとりむかしばなし』(名取市観光協会)

  鬼瓦の霊験譚とでもいうものか。このような鬼瓦についての話は、他にもあるんだろうか。
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