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元和の時代、新たに最上の地を領した戸沢家は、その中心となるべき居城を、沼田の地に建てることとした。が、沼田の地はもともと湿地帯であったので、堀とするべく土を盛ってもなかなか固まらなかった。 ■沼田城の人柱・その2■ 江戸時代のこと、例年のこととして、大勢の足軽が、城の内堀の泥さらいをしていた。 |
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新庄のかつての行政の中心、沼田城。そこの内堀につたわる恐ろしい話だ。少女と老婆の2説があるようだが、戸沢の殿様も、いけないことをしてしまった、ということなのだろうか。きっと祀れば鎮まっただろうに、なんで祀らなかったんだろう。城の中で言われてきた伝説なのではなくて、城下町の民衆に伝わっていた伝説なのかもしれない。 |
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![]() 沼田城の戸沢神社。 |
![]() 城跡の堀。 |
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●人柱 |
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